聚楽第(じゅらくだい)跡

東山堂は京都西陣というところに本店があります。

 

そして、京都は長らく日本の中心であったので歴史的な見所がたくさんあります。

 

これからこういった場所も少しずつご紹介していければと考えています。

 

今回は東山堂本社・西陣本店のある場所をご紹介します。

 

私が毎日働いている場所は皆さんもご存知だと思う歴史的な建物があったところです。

 

その建物とは豊臣秀吉が建てた聚楽第(じゅらくだい)のそれも本丸です。聚楽第(じゅらくだいとは関白となった秀吉が建てた政庁兼邸宅とした城郭です。

DSC_0659

竣工後8~9年で取り壊されてしまった為、詳細については分からないことが多いようです。短い間でしたが、九州征伐を終えた秀吉が大阪より移り住み、ここで天下統一の最終仕上げを行います。

 

後陽成天皇の行幸を仰ぎ、天正少年使節の謁見も行うなど豊臣政権の京都における中心的な役割を担っていました。

 

その後甥の秀次への関白の譲位によって秀次の居館となりますが、秀頼が生まれたことで秀吉との間に溝が生まれ秀次は高野山にて自害をします。

 

そして秀吉の命により破却されてしまい地上から姿を消しました。少し勉強することで普段何気なく暮らしている町に、このような歴史ドラマや小説を通じて知っているような大きな物語がある事知り、また実際にこの地で行われていたんだと思うと感慨深いものがあります。

DSC_0663

東山堂の周りでは過去には何度も発掘調査が行われており、当時の金箔瓦や石垣などが出土しています。

 

最近では歩いて5分くらいの場所で2012年の末に長さ32mという大規模な本丸の石垣も発掘され、現地説明会には千人を超える歴史ファンが集まるなど各種メディアでも取り上げられました。

 

残念ながら現在は埋め戻され、案内板にて確認することが出来ます。

 

諸事情によりこうなってしまいましたが、現場を通る度に、案内板や石碑といったものから得る情報と本物を知ることによる経験には明確な差があるように思います。

 

インターネットが大きく普及し、スマートフォンの普及で毎日多くの情報浴びています。

 

その中には、正しい情報もありますが、間違った情報や、デマなども多く存在します。

 

また、売り手がお客様を意図的にコントロールしてしまう情報もあります。

 

東山堂は歴史ある京都という街に本店があり、史実を直に見て学べる立地に存在しています。

 

日常から本物の歴史を垣間見ることができるということは商売を続けて行く上では真実をお客様に伝えて行く!という気持ちを忘れずに持つことができると私は思っています。

 

この気持ちを忘れず「本物を供する」ということを念頭に、東山堂はお客様に満足いただける製品とサービスを提供し続ける企業でありたいと思います。